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別館・空オア

PS・PSP・PSVita用ゲーム『俺の屍を越えてゆけ(通称:俺屍)』『俺屍2』のファンサイト。 俺屍語りや一族愛で(←ここでもやるのか)、日常、拍手お返事など、色々書いて描いてます(´▽`)

幸せの定義

コンビニでパッケージの写真に惹かれて買った
不二家のスイーツトルテが、美味しかったw(^^*)
今度はチョコ生ケーキ味を購入しに行ったところ
同シリーズが、コンビニのお菓子売り場にしては珍しく品薄に。
ひょっとして近所でブームが起こってる・・・?(^O^;



どうしてこんな事になるのか、理解に苦しみますが
中学時代の友人でやたらと宣教してくるヤツがおります。
しかも、頭にくることに、私以外の中学時代の友人にも見境無く
執拗に布教活動をしていると聞く。
彼女とはしばらく疎遠になっていましたが
数年ぶりに再会した時からその活動は始まりました。

彼女の話によると、その宗教を信じれば全てが思い通りで幸せになり
他の宗教を信仰したり無信仰だったりすると不幸になるらしい。
ンなわけあるか、という事で私達は断り続けていますが
長期に渡って勧誘を受けているために、そろそろ疲れてきた。(-_-#)
今月に入って、家に押しかけてくる頻度も高くなってるし。


そもそも、「何でも思い通りになるという事=幸せ」という考えがおかしいと思う。

確かに、何でも思い通りだと、幸せを感じる機会は多いだろうし
腹を立てる事やつらい思いをする事は、ほぼ皆無になって
毎日生きていて、この上なく気分が良いと思う。

だけど、私の思うに、幸せの定義って
そんなに明確なモノじゃないような気がする。
自由気ままなのが罷り通るような立場の人が
必ずしも幸せかというと、そうではない。
こんな人が世の中にいるのかどうかも微妙だが、仮に居るとすれば
誰一人として、本人に不満を言えずに積もり積もって
その人はきっと周囲から恨まれたり妬まれたりし、
極端な話、暗殺計画くらいは練られているかもしれない。
こんな風に考えると、思い通りにならないのが常でも
食べたご飯やお菓子が美味しかったといったような(私の場合w)、
日々の生活に隠れている小さな幸運を見つけてはその度喜んで・・・みたいな人生のほうが、よっぽど幸せだと思う。
その小さな幸運さえ人によって様々だし
幸せについて定義付けするのは不可能なんじゃないかな。
ある人にとっての幸せは、他の誰かにとっての不幸かもしれない。
「何でも思い通り」は、「幸せ」の要素にはなり得るけど、
それだけが全てではない。
「幸せ」には不変の真理としての必要十分条件なんて
きっと存在しないのだと、私はこの頃考えるようになりました。

・・・と、ついつい堅苦しい事を語ってしまいましたが
(これじゃ私のほうが宣教者みたいだw)、
ずっと自分の胸の内に秘めておくのもしんどかったし
まず秘める必要もないし(笑)、という事で書かせていただきました。
同様の宗教を信仰してらっしゃる方で
この記事を目にして気分を害されたようでしたらすみません。
そして、このわけのわからん文章にお付き合いくださった方(いるのかは謎ですが)、どうもありがとうございました。m(_ _)m

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プロフィール

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真珠(まじゅ)
性別:
女性
趣味:
食べること、お絵描き、ゲーム等々
自己紹介:
俺屍一族を愛して止まない。
俺屍のファンブログですが、他ジャンルや日常話も好きに語っています。
過去のイラスト作品はpixivでまとめています。

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